2014年11月27日木曜日

interview : O.N.O (TBHR.STRUCT)


O.N.O (TBHR.STRUCT)
道無き道を切り開くが如く突進する猛獣のようなドラム達を世に放ち、他の追随を全く寄せ付けない完全オリジナルなビート職人。現在までに"THA BLUE HERB"とソロプロジェクト、合わせて10枚のアルバムを発表し、シーンの中枢を鋭く抉る独自の楽曲群を生み出し続けている。あらゆる音楽と現場を通過し選び抜かれたインスピレーションは、その感性とマシンを経て"O.N.Oビーツ"へと昇華され、MachineLiveと名付けられた、機材と肉体との有機的な合奏によるライブパフォーマンスに結実し、全国各地のフロアでビートジャンキー達に絶叫と熱狂を巻き起こし続けている。



◎はじめに
自分がO.N.Oと確かに繋がったのは、2年前に地元大宮で開催したMammoth Dub2周年の時に氏をゲストに招聘したのが始まりだった。20代前半の時には既にTHA BLUE HERB、そしてO.N.Oのソロライブを観に行ったりと、既にその存在は漠然と在った。新宿LOFT、LIQUIDROOM、DJ KRUSH,ABSTRACT…今、知恵の輪を聴きながら当時の熱いシーンを思い返している。それから約10年が経過し、こうして今回共作を作れるとは当時の自分は思っても居なかった。
それを思うと自分はDJ KRUSH、そしてTHA BLUE HERB、O.N.Oの存在は確かな影響を受けてきていると確信したし、今こうして彼等“先駆者”と話が出来る事に感謝している。
貴重なO.N.Oへのインタビュー、とくとご覧あれ。


1.まずは音楽遍歴から伺いたいのですが、THA BLUE HERB(以下TBH)に至る前はどのような活動をされてたのですか?それから今迄の経緯をお話下さい。

O.音楽の入り口がHIP HOPで93~4年頃からアパレルで働きながらDJをはじめて、そこでBOSSと知り合って97年にTHA BLUE HERBって感じかな。
その頃中学生のDJ DYEもよくCLUBに遊びにきてましたね。自分の学生時代は友人のバンドを聴きに行く程度で音楽を熱心に聴いてたとかは無いですね。

2.というと、既に今から20年程前にはTBHのメンバーは出逢っていたんですね。
それから20年、今や日本を代表するヒップホップグループへと登り詰め、日本全土を今でも湧かし続けている事に心からリスペクトです。
O.N.Oさんのライブを初めて観たのはもう10年?前に新宿LOFTで拝見させて貰いました。あの頃はMPC4000を使ってのライブでしたね。フロアの盛り上がり素晴らしかったです。今でも主にハード機材を用いての制作、ライブを行ってますが、ハードに対するこだわり等があれば教えて下さい。

O.LOFTであの頃よく LIVEしてたよね。BPMも遅めで今ほどフロア寄りじゃ無かったけど狂ったように盛り上がってたのをよく覚えてますね。機材は別にハードだけにこだわってる訳ではなくて、制作ではソフトもハード関係無しに使いますね。LIVEでも操作がたのしいコントローラーなら特にこだわりもないです。でもデザインはカッコ良いのがいいよね。まじめな話ハードからDAWに移行する中でその中間に位置するビートメイカー達は機材のチョイスに悩む時期が長かったと思うんだよね。ハードで可能だった事がソフトで出来ない場合も多いからね。自分も悩みながらもスタイルを変えて制作に時間を使うようにしていますね。いつも同じ作り方じゃ飽きちゃうからね。
3.確かに。DAWの登場で制作スタイルに悩んだのは自分もあったし、使いこなすまでに時間も費やしましたね。今でも完全なる解決には至らないし試行錯誤の日々ですが、結局は良いものが出来れば良いという答えに辿り着き、自分もそこまでハードだソフトだってこだわり無いですね。
さて、僕から見た20代の時の当時の状況として、DJ KRUSHがTBHをプレイした事で一気にその名は轟いて行ったように見受けました。そのKRUSHのミックスCD「CODE4109」に収録されている「知恵の輪」は当時相当な衝撃を喰らいました。
先に申し上げた新宿ロフトでのライブでもライブバージョンでプレイされてたのを今でも覚えてるぐらい好きな曲ですね。
TBHはO.N.Oさん的に当時はどんな思いで活動されてたのですか?BOSSさんの文献は良く読んでいたのですが、O.N.Oさんの言葉はそれほど見かけなかった(僕のチェック不足かもしれませんが)ので、改めてお話頂けますか?



O.知恵の輪はTBH2枚目シングルであの曲を作った時は2人とも”これはヤバい曲が出来たっ”と確信して世に出したんだけどしばらくは全く反応がなかったですね。自分たちはあの曲に自信があったのでみんなが理解出来ない事に驚いてました。で、結局DJ KRUSHがプレイする事で徐々に浸透していって「CODE4109」で決定的になったんだけど、その頃にはもうTBHの1stアルバムが出て2年は経っていたからTBHは各自すでに2ndの制作に入ってて、、結局国内の評価というか理解は3年遅れくらいで来るんだなと思って自分の感性だけで作る事に没頭出来ましたね。 

4.それだけ長い間眠っていた曲が3年遅れで評価され、しかもそれが爆発的人気になるって事が凄いですよ。それだけ最先端で、当時のリスナーレベルを超えてた曲だったんだろうし、3年後に時代が合わさったのはある意味必然だったのかもしれませんね。如何せん、そこでの評価が後のTBHに拍車をかけた事でしょう。
O.N.Oのソロでの活動において、TBHのイメージであるHIP HOPとは完全に別路線を確立されたかと思います。onomonoで表現されたミニマルテクノやO.N.O a.k.a Machine Liveのbpm110前後のブレイクビーツ、このようなスタイルに成るまでにどんな音楽に影響され、今のスタイルを編み出したのでしょうか?
O.自分の中ではTBHこそがHIP HOPなんでソロもHIP HOPの延長上ではあったんだけど、当初から他ジャンルからの支持も沢山もらっていたし交流が深まる中で自然と別路線が出来ていったのかもしれないですね。フレーズをサンプリングするだけの手法もTBH1st制作時からつまらないと感じてました。DJをしなくなってTBH2ndの延長上でソロ1stを作り現場でライヴをするようになってから、フロアを意識する今のスタイルになって徐々にブレイクビーツ的な展開からミニマルなビートまで両方自由に作れて踊れるBPM110に行き着いた感じですね。LIVE中心の活動になってDJユースにBPMを考えなくて良くなったのもBPM110に行き着いた理由かもしれない。まっ、結局DJしたくなってonomono名義のミニマルテクノ路線も作り出すんだけどね。笑

5.自分から見たらライブもDJも、フロア体感というかグルーヴはやっぱO.N.O節を感じるし、どっちも素晴らしい表現ですよ。
さて全国各地、随所でO.N.Oの名前を見ます。全国各地を毎週のように飛び回ってますが、年間何本ぐらいライブをされているのですか?あと、日本各地のクラブシーンを見て何か思う事があればお話下さい。

O.Machine Liveは年間50位かな。それ以外でonomonoでDJもやらせてもらっています。やっぱり各地にそれぞれ波はありますよ。しばらくプレイに行けてない街もあるし、相変わらずアツい街もある。あと急に勢いが出て来たように感じる街もあるけど、そういう街はやっぱり中心になる人達が長い間じっくり育ててきた結果だったりして。パーティーは準備から長い時間かけて作るものだからそこに呼ばれてその瞬間にステージに立ったときは全力で挑みたいと思ってます。超当たり前の話なんだけどね。

6.確かに、ローカルのキーマンは重要な存在ですよね。下地を作る人が居なければその土地のシーンも出来ない、畑作るのと一緒だと思います。そこが出来てる街は、やはり良いシーン、アーティストを輩出してると思います。札幌もそれを感じますよ。
さて、今年に入り自身のlabel「STRUCT」を立ち上げ、日本各地のアンダーグラウンドなアーティストを輩出していってますが、発足のきっかけ、またその意図についてお話下さい。












O.普段は現場でしか音楽をインプットしないんで各地や各イベントではなるべく共演のライヴなどは観るようにしてて、やっぱすげーカッコいいアーティストがいっぱいいるんだよねっ。もっといろんな環境や音響で聴いてみたいと思うアーティストに声をかけてます。若手をフックアップするとかそんな大層な理由は全然なくて、単にアーティスト同士つながったりできればアピール出来る環境が広がるだろうなという考えです。アンダーグラウンドなアーティストは大好きだけどそれを専門に輩出するレーベルとかじゃ無いです。基本はO.N.Oの好みですね。ベテラン勢にもお願いして参加してほしい企画もあります。

7.なるほど。そうしたら、今後のリリースの人選、アプローチも楽しみですね。
今回GURUZのコンピレーションASYLUMに参加して、ベースミュージックという枠に自分を置いてみて何か思う事はありましたか?僕の印象だと、O.N.OさんはBPMが140であろうとO.N.Oという確かな色に濁りを感じなかったとこに感銘しました。STRUCTを見てても、もはやジャンル云々では無く純粋にカッコいい音への追求を感じますが、O.N.Oさん的には自身のジャンルやスタイルを意識する事はありますか?

O.このJUKEかっこいいなとか、これはダブステップ寄りのミニマルだなとか頭の中でジャンルを元に聴いたりするけど、DJツールとして作ったり使ったりする時はBPMを意識する事の方が多く、ベースミュージックに関してはあの辺の周波数を中心にカッコいいという漠然としたイメージだけだったので、今回のDOPPELGENGERとの共作はベースミュージックを意識する機会として実りが多かったですね。特にベースの鳴りに関しては2人けっこう衝突しましたからね笑
GURUZもそうだと思うけど、STRUCTのリリースに関してもジャンル的なものより自分の音をどれくらい突き詰めてるかが大切ですよね。そのアーティスト自体がジャンルという考え方はGURUZと同じだと思います。


8.自分は衝突というか、自分は普段意識してない帯域を出してくるから驚いてた感じですよ。笑
それだけ自分の固定概念に縛られてたと思うし、作った曲を箱で鳴らして、あぁこういう風に鳴るんだなって。一概にベースと言えど、50~200hzあたりまでの何処をチョイスするかってジャンルで違うし、今回そこで多くの発見があって楽しかったし、O.N.Oさんが居なければこんな曲は間違いなく出来なかったでしょう。まさに新次元突入させて貰いました。
来年はどのような予定が入ってますか?また目標や展望があればお話下さい。

O.年末に向けてもほぼ毎週LIVEとDJが入ってるので名前を見かけたら是非遊びに来て下さい。
9.最後に12/22 ASYLUM in KOZA vol.2に向け、沖縄の皆さんに一言。
O.久々の沖縄ですね。今回はDOPPELGENGERと一緒ということでキレっキレっでドカドカで弩ドープな夜が決定してるので楽しみにしていて下さいっ。


◎あとがき
文中であったように、O.N.Oさんはその存在がジャンルという言葉が正に当てはまる人物だろう。年間50本を超えるギグ、全国各地を毎週飛び回っている。それも、40キロを超える機材を転がしながら各地のサウンドフリークを唸らせ、そして誰よりも一番現場の楽しみ方を解っていると思う。
北海道という北の大きな島、自分はこれまでに4回程行った事があるが、彼等の育った箱であるPrecious Hall、Philmore Spaceはとても素晴らしいクラブだった。
勿論THA BLUE HERBの出現は自分にとって革新的な事だったし、今でも更なる高みを目指す姿は大きな励みになっている。そしてTBHのトラック制作をやりつつ、自身のソロ活動を続けるO.N.O。これからのリリースが楽しみでならないし、一体どんなアプローチが。
12/22の沖縄での共演も楽しみです。北海道、関東、沖縄の素晴らしいアーティストが一同集結!間違いない、というか未知なる次元を垣間みるでしょう。
では、O.N.Oインタビュー、読んで頂いた皆さん有り難う御座いました。

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